中学校時代、当時見るテレビは日曜日夜の世界名作劇場のみ。アイドル全盛期に、歌番組の存在も知らないのに、アイドルに憧れる同級生につられて、オーディションへ。「芸能界に憧れるのなら」と母が連れて行ってくれたのは東京宝塚劇場。第1幕のお芝居では「なぜにココに連れてこられたのか」感があったのに第2幕のショーでその印象は激変。夢中になり、アイドルに憧れていた同級生ではなく、どういういきさつか女子プロレスに夢中だった同級生とタカラヅカにハマる。
タカラヅカへの夢が終わる頃、東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』の出演者募集の新聞一面広告が掲載され、夢はロングランミュージカルへの出演に。東京女子大学文理学部日本文学科で卒業論文の専攻を決める際には、戯曲だから、と「近松門左衛門」大学在学中にロングランのミュージカルどころか、単発の舞台のオーディションに受かることもなく、「芸能生活多忙の為、これ以上学校に通えないので大学中退」の夢は叶わず、4年間で無事に大学卒業。
大学在学中から、ダンスを習うことと並行してダンスを教え始める。ダンス講師、そしてミュージカル演出助手、振付助手、制作など出演だけでなく舞台に携わる様々な経験を経て、2011年東日本大震災の原発事故をきっかけにJ1ビザを取得しハワイへ移住。
ハワイで始めた趣味はランニング。
日本に帰国後、折しも世界遺産登録になった富士山、富士登山に初チャレンジ。約2ヶ月余りのシーズン中、初年度は18回富士登山。
富士山のご縁で「東海道五十三次ウォーキングツアー」と繋がる。歴史には興味がなかったけれど、実はハワイで出会った北海道出身のご夫婦が「今度は東海道を歩くからホノルルマラソンはパス」と仰っていた言葉を思い出して、またいつか再会できたときに共通の話題ができる! と思って、案内役を務めることにした。1日に約10km。お客様は1ヶ月に1回ずつ参加して約2年半で東京・お江戸日本橋から京都・四条大橋まで歩きつなぐツアーは日帰りで始まるが、途中からは1泊2日、ときには2泊3日のことも。雨でもツアーは催行。
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